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2017.11.09 Thursday

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    一定期間更新がないため広告を表示しています

    社内恋愛

    2016.06.26 Sunday

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      こんにちはブロック兵です。

       

      みなさんの周りで社内恋愛をされているカップルはいますか?

       

      僕の会社でも沢山います。しかし、僕の部署に限って言えばほとんど社内恋愛をしている人はいませんでした。7年ほど勤めていますが、1カップルしか成立していませんでしたし、1年ほどでそのカップルも破綻を来してしまいました。

       

      他の部署でなぜ社内恋愛が多く行われているのに僕の部署では社内恋愛があまり成立しないのかについては全く不明です。女性陣に関して言えば、容姿はかなりいいです。

       

      その為、社内ではなくて社外で恋愛をしているのかもしれませんが、その様な情報はあまり耳にはいってきません。

       

      最近になって一組のカップルが成立しているように、感じることがあります。

       

      僕はあまり恋愛に疎いのでカップルが成立していたとしても、本人からの申告がなければ気づかないタイプなのですが、今回は察することが容易にできました。

       

      ちなみに、このカップルは今段階では付き合っていると申告はしていないのですが・・・。

      げすの勘ぐりです(笑)

       

      まず、帰りの時間が同じ。一緒に帰っているかどうかは分かりませんが、退社する時間が同じことが多い。

       

      退社する時間が同じになるくらい普通にあるよ、と思われる人もいるかもしれませんが、今回のケースは違います。

       

      僕の会社では17時半に、基本的に仕事を終わらせて帰る事ができます。しかし、男女ともに残って仕事をするのです。

       

      そんなの普通にあるよ!!と言われる人もいますが、先ほども言いましたが、僕の会社では17時半に仕事を終わらせて帰宅できます。むしろ、上司が早く帰るのを推奨しているのであまり遅くまでのこって仕事をすることは望まないのです。

       

      要はほとんどの人が、18時には帰宅しているのに、2人だけが残って仕事をしている。しかも、女性の方があきらかに、仕事ではなくて時間を潰しているだけです。この行動は他の会社では、別に恋愛とは関係ないよ、となるかもしれませんが、僕の会社ではかなり不可解な行動となります。

       

      また、決定的なのが有給休暇の時期が同じであることです。

       

      ここまで露骨にされてしまうとたいていの人は気づくと思います。

       

      そして、職場での会話をしている場面を最近全くみなくなりました。故意に避けているとか思えないほど会話場面をみません。

       

      これも露骨にやっているので、逆に分かり易いです。

       

      他人の恋愛にどうこう言いませんが、社内恋愛は結構分かり易いものなのですね。

       

      以前のカップルは付き合っていると知るまで時間がかかりましたが、今回はすぐに分かりました。

       

      なんか社内恋愛いいですね!!

      脱5月病!元気になりたい時、あなたならどうする?

      2016.06.20 Monday

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        脱5月病!元気になりたい時、あなたならどうする?
         

         

         

        こんにちはブロック兵です。

         

        5月病はそもそも新入生や新人社員が、当初持っていた熱意が冷めたことで起こる現象だと思っていました。

         

         

        学生であれば新しい学年になり、新しい環境が生まれれば、5月病が発症する可能性はありますが、会社員だと3年以上同じ部署で勤めてしまえば5月病になることはないのではないでしょうか?

         

         

        むしろ、仕事になれてくると、5月なんて季節の存在、あっと言う間に通過するので、気にもしないです。

         

         

        今の会社は7年ほど勤めていますが、この会社に勤める前はいろんな業種の仕事にチャレンジしてきました。その為、新しい職場になる度に5月病的な感情が生まれてきていました。

         

         

        人生を安定させたければ頻繁な転職や派遣会社で勤めることはお勧めしません。精神的に苦痛とともに人間関係に悩まされ、5月病に苦しむ確率を飛躍的に上げてしまいます。

         

         

        では本題の5月病から逸脱する為にはどうするかですが・・・。

         

         

        学生だったら、勉強に集中する。会社員であれば仕事に集中する。だと考えています。

         

         

        5月病は今いる環境になじめないから陥るのに、そんな事できないよ!!と言われる方も多いかも知れません。

         

         

        気持ちは痛いほどわかります。しかし、やる気が出ないと毎日を送っていてもその先にあるのは現実から逃げようとする弱い心だけです。

         

         

        5月病は誰にでもなる可能性がある、だからこそ、現状を少しでも楽しめるように今やっている事をとことん突き詰めていこうと思うようにしています。

         

         

        人間は5月病のような憂鬱感を感じるには前提条件として、色々考え込んでしまう、という脳の仕組みに問題があります。

         

        その問題さえ払拭することが出切れば、5月病になる可能性を少しでも減らせます。

         

         

        しかし、人間はいきている以上色々考えてしまいます。

         

         

        頭の中でいろいろ考えてしまうときには、この考えている自分は自分自身でなく、過去から自分にくっついてきた考え方そのものだ、と思うようにしています。

         

         

        そうすることによって、色々考えている自分自身を客観的にみることができます。

         

         

        そもそも、人の悩みの多くは人間関係に起因します。

         

         

        しかし、その人間関係の渦の中で、自分の考えに基づいて、相手の意見を再構築するケースも沢山あります

         

         

        勝手に解釈を折り曲げてしまう。そのことで自分自身を苦しめてしまうケースです。

         

         

        全く無駄な行為だと言えますが、多くの人はこの無駄な行為で悩み苦しんでいるのです。

         

         

        自分の中の考えを客観的に捉え、今やるべきことを必死で遂行していけば、5月病なんて簡単に払拭できます。

        空白の法則と引き寄せの法則

        2016.06.19 Sunday

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          こんにちはブロック兵です。

           

          断捨離が流行りだして数年経ちますが、皆さんは掃除をきちんと出来ていますか?

           

          僕は、日常生活で掃除をしないという事自体考えられません。掃除大好き人間という訳ではありませんが、部屋が片付いていると気持ちいいですし、逆に部屋が汚れていると、気持ちが憂鬱になってしまいます。

           

          僕が掃除をするようになったのは、近藤麻理恵さんの書籍が出るずっと前、断捨離なんか言葉がもてはやされるずっと前、ずぅーと前から掃除をするようになっていました。

           

          最近は、半日かけて掃除をする頻度も依然と比べて格段に少なくなりましたが、それでも毎日こまめに掃除をしています。

           

          よく掃除関連の書籍に物を減らせば、良いものが入ってくる、だから持っているものを減らすほうがいい。これは宇宙の法則であり、空白の法則である。と書かれています。

           

          空白の法則とは、宇宙は無の空間を作らないようにする働きがあり、物がない空間には何らかのものが集まってくるというものです。

           

          この法則は事実です。僕自身が体験している事実なので僕自身は疑っていません。世の中にはこの事実を疑っている人もいるようですが、実際に掃除をしてみてください。

          掃除をして、家にある家具や服、書籍、冷蔵庫の中にある物等で全く使っていないものをどんどん捨てていってください。

           

          捨てることを続けると、ほかに捨てるものはないかと探すようになり、捨てる速度は飛躍的に上がっていきます。(これに関しては、良いことがどうかは、脇に置いておきます)

           

          そして、家の中から物がなくなったなと感じ、到達点にたどり着きます。

          しかし、捨てることに関しては、ここからが始まりです。この到達点にたどり着いたら、もう一段落上の到達点があります。自分の限界を超えることができるか、どうかは、ここが正念場となります。

           

          そして、その正念場を超えると本当の意味で、必要なものだけが残る空間を手に入れることができるのです。

           

          そして、その空間を手に入れて数週間その空間を堪能してください。

           

          不思議と物が近くに引き寄せられます。自分自身がほしいものでない場合もあります。余計なものもたくさん来ます。

           

          ここでやっと気づきます、何もないところを宇宙は埋めようとしているということが・・。

           

          この、空白の法則は引き寄せの法則を気づかせるための、条件なのかもしれません。物で埋め尽くされていては、何が新しく入ってきたか理解することは難しいです。

           

          しかし、物がない状態であれば、理解することは簡単です。

           

          ぜひ断捨離の上をめざして掃除をやってみてください。思いがけない幸運を手に入れることができるかもしれません。

           

          寄付は自分を助ける

          2016.06.11 Saturday

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            こんにちはブロック兵です。
             
            以前も記事で書きましたが、僕は国境なき医師団に寄付を毎月しています。金額は微々たるものです。微々たるものですが、少額であれ、現地の人の命を救えています。

            幸せとまでは行かないまでの、苦境を少しでも緩和できる手助けはできています。
            これって素晴らしいことだと思いませんか?

            自分の生活が困窮しているのであれば、無理な寄付はする必要ないとおもいます。僕も銀行にある残高が20000円という生活で、何とか食いつないでいた時期もありました。

            その様な生活をしている人に、他者への貢献を推奨するわけではありません。むしろ自分の生活を安定させる事を念頭に置き、生活をするほうが健全だと思います。

            しかし、ある程度の収入で、ギャンブルやお酒、買い物等の多額のお金を浪費しているのであれば、そのお金の使い方は見直した方が、いいのかもしれません。
             
            ユダヤの格言に収入の10%は寄付しなさい、という言葉があります、アメリカでは寄付をしない者は人にあらずと言います。これは収入の額が問題ではなく、考え方の問題です。

            上でも話しましたが、生活に困窮している人間は人のことを考えるより自分のことを最優先に考えるべきです。しかし、少しでも生活に余裕がでてきたら、娯楽や物質的裕福を求めるよりも、他者の為に稼いだお金を分配するほうがよっぽど幸せになります。
             
            もし自分が恋人もいたことがない、会社では使えない、友達もいない、コミュニケーション能力も全くない、そんな人が何とか一人で生活をしていたとします。

            心に開いた空洞を埋めるために稼いだお金を、娯楽や物質に使ったとして、開いている穴は埋まりません。

            運良く恋人ができたり、友達ができたり、仕事が上手くいったりしたとしても、いずれ穴は開きます。何かをもとめ必死に頑張ってもいずれ穴は開きます。

            その常に開く穴をふさぐ事ができる事は他者への貢献のみなのです。

            正気寄付をしなくても、他者への貢献であれば何でもいいと思います。

            しかし、自分が一生懸命稼いだお金を誰かの為に使おうとするその心がけは、自分に自信を与えてくれます。どんな苦難が訪れようと、僕は誰かの為に貢献できていると自信がもてます。
             
            上手くいかず、行き悩んでいるとしたら、寄付をすることで、その悩みを少しでも緩和できるかもしれません。他者のために自分は生きている、誰かの為に生きていると思える事こそが生きるということなのだと僕は思っています。

             

            ブログのプレビュー数が継続的にアップしている

            2016.06.08 Wednesday

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              こんにちはブロック兵です。
               
              6月2日にブログのプレビュー数が600を超えました。その日を皮切りに、毎日500プレビュー近くは閲覧していただいています。
               
              ものすごくありがたいことですが、不思議なことにアクセス数は以前とあまり変わりません。大体、日に50アクセスから100アクセスぐらいを推移しています。
               
              結果だけを見て言えば、閲覧してくれている人が、サイト内を巡回してくれている、ということになります。これはこれでありがたいことです。
               
              でも急にそのような結果が出てしまうと、なぜなんだろう、と不思議に思ってしまいます。
               
              ブログを始めた頃に、どのような記事であれ、毎日更新をしていけばいつの日かがアクセス数が、もしくはプレビューですが飛躍的に向上する日が来る、という。文面を読んだことがあります。
               
              まさしく今その現状に立っている状態だと思います。
               
              しかし、ブログの質も文章力も、人が読んで喜ぶレベルまで至っていない、このブログでこれだけのプレビュー数をたたき出すことができるとなると、ちょっと原因を探ってみたいな、と思ってしまいます。
               
              単純にブログを始めて4ヶ月たつので、時間の経過によってアクセス数が増えてきたというのはあります。しかしプレビュー数は時間の経過とは関係がないように思われるので不思議です。
               
              あと最近は、ブログの更新自体も開設当時と比較するとかなり少なくなってきました。やはり仕事やプライベートのことで常にブログのことだけを考えて生活していくのって難しいことだと実感し始めています。その中でブログの更新頻度は劇的に下がっていきました。
               
              にもかかわらずプレビュー数は上がっている。全く不思議でたまりません。
              以前プレビュー数やアクセス数がすごい気になっていた時期もありましたが、一旦間を空けてアクセス数をまたはプレビュー数を見たときにこのような結果になっていたのですごく驚きです。しかも、それが継続的に続いている状態なので不思議ですよね。
               
              ちなみに、 Google アドセンスもやっているんですが、そちらのプレビュー数は全く変わっていません。ということは実質上のプレビュー数は上がっていないんじゃないか、と思います。
               
              以前アメーバブログのことを書いた記事を読んだことがあります。アメーバブログではアクセス数をアメブロを運営している会社側で改ざんしてという、こともあったそうです。
              現在はどうなってるかは全く知りませんが。
               
              もしかすると、今僕が使っている JUGEM ブログに関しても、何らかの改ざん的な行為が行われているのかなとも疑ってしまいます。
               
              ブログを書いてる個人としては、モチベーションが上がって嬉しいのですが、基本的に現実的ではないということだとすると、今後どのようにブログを発展させて行こうかという参考には全くならないのだと思います。
               
              これからもブログのアクセス数には気を配りながら、更新を続けて行こうと思います。


               
               



               
               

              ありがとう、言えてますか?

              2016.06.06 Monday

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                こんにちはブロック兵です。
                 
                ありがとう!という響き、いいですよね。些細なことでも、ありがとう、と返してくれると気持ちがホッコリします。

                別にお礼の言葉を望んでいるわけではなくても、何かをして、お礼がない事や、したことを当たり前だと感じられるとやる気が失せます。
                 
                この、ありがとう、と言う言葉は「あり得ないことが起こっている」という起源があるそうですが、まさしく、思ってもみないことが起こった、感謝したいと思うと、使う言葉はありがとうになりますよね。


                僕も、このありがとうという言葉は頻繁に使用します。

                むしろ意識的にありがとうという言葉は使っています。
                 
                どんな小さなことでもきちんと、ありがとう、と言える人ってすてきだと思います。
                 
                恋愛や結婚生活を送っていると、相手の思いやりをいつの間にか当たり前の事として思えてくる事があります。客観的にみると、感謝すべき事でさえ、慣れてしまえば当たり前になってしまうのです。


                そして、その当たり前という考えが元凶となり、関係に亀裂が走る結果となって、終末を迎えるカップルは少なくないと思います。
                 
                この、ありがとうと言う言葉は恋愛にしろ、普通の友達関係にしろ、相手に言われてうれしい言葉ナンバーワンだそうです。確かに、自分が相手にありがとうと言われると悪い気はしません。

                むしろうれしいと感じます。
                 
                キリストは相手がして欲しいことをするように言っていたそうですが、ありがとうという言葉を伝える事は、相手にとってして欲しい事だと思います。
                 
                僕自身は意識してありがとうという言葉を頻繁に使うようにしていますが、それでもコンビニで買い物をおしたさいなど、どうも、と軽く挨拶をする程度です。
                 
                コンビニなどで買い物をしてありがとうと言える人になりたいものです。ちょっと気恥ずかしい部分があるんですよね。
                 
                僕が一番ありがとうという言葉を使うのに二の足を踏んでしまうのは家族です。家族が一番お世話になっている存在なので、一番ありがとうと言う言葉は使う必要があるはずですが、やはり恥ずかしいと感じてしまします。


                多分僕に限らずだれしも同じ心境を抱えているのではないでしょうか?
                 
                昔に比べれば何かしてくれると、積極的に家族に対しても、ありがとうと素直に言える頻度は増えてきました。しかし、少しのことをして貰ったからといって簡単にありがとうというとことはしない気がします。
                 
                誰に対しても、何かをしてもらったきちんとお礼を込めて、ありがとうと言える人間になりたいものです。
                 

                 

                一斉検査!カバンの中に何を入れていますか?

                2016.06.05 Sunday

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                  一斉検査!カバンの中に何を入れていますか?

                  こんにちはブロック兵です。
                   
                  カバンの中一斉検査!!他人のカバンの中は気になりますよね。異常な程大きいバックやリュックを背負って颯爽と駆け抜けていく青年やOLは多いなと感じます。
                   
                  女性は化粧品やもろもろの物が入っていると思うので、バックの容量が多くなっても致し方ないと思いますが、男性の場合だと「なんだろう?何を入れればこんなに大きなバックになるのだろう」と思ってしまうことがあります。
                   
                  それでは自分の話にもどります。僕のバックはかなり小さいです。よく「小さいバックですね」と言われます。自他ともの認める小さいバックを使用しています。
                   
                  中身ですが、携帯電話と財布とカード入れだけです。正直バックを持つ必要もない量です。
                  というか、自分のバックの中身なんて知っていることなのであまりどうでもいいことです。
                   
                  話が少し逸脱しますが、バックの中身の量とその人の知的レベルは比例しているケースがあるという話があります。勿論、100%比例しているわけではありませんが・・。
                   
                  なぜバックの中身の量と、知的レベルが比例しているかというと、バックの中身が多いと言う事は何が必要で何が必要でないかの選択が必要だからです。
                   
                  これは部屋の掃除でも当てはまることですが、取捨選択をする、ということは一種の知的作業になるのです。極端な例になりますが、知的障害を抱えている人は、取捨選択を行うことが難しく、近くの移動でも持ちきれないほどの荷物を抱えて移動します。
                   
                  他人からみると、今それは必要のないものでさえ彼に取っては重要なものになるのです。この様なことが健常者の中でもあります。今必要か、不必要かの選択はとても難しい、高度なことなのです。
                   
                  もちろん、取捨選択が出来る人間が、出来ない人間と比べて優れているとは断言しません。取捨選択ができる、できないが、人格を左右することはまずあり得ません。
                   
                  僕も以前は不必要なものを沢山もって行動していました。しかし、大手証券会社で派遣社員として働いていたときに、社員が全く荷物をもってきていない、という事実を知りました。もちろん、全員ではありませんが、荷物を全くもってきていない人が沢山いるということです。

                  実際は定期と財布と携帯電話ぐらいは持っていたと思いますが、鞄にその様なものを入れて行動しているわけではありません。
                   
                  ぱっと見た感じ何も持っていないようにしか見えませんでした。
                  僕はその人をみてから、かっこいいなと感じました。
                   
                  それ以降、その人のまねをして、極力荷物をもたないように生活を送っています。




                   

                  要求内容に限界を感じたら、現状を伝える勇気を持つこと

                  2016.06.05 Sunday

                  0


                    こんにちはブロック兵です。
                     
                    最近よく考える事に、人間は出来る事に限度があるという事です。

                    例えば、仕事で部下に、あれもやれ、これもやれ、と指示を出すことはできます。

                    しかし、部下の能力がどんなに高かったとしても、決められた時間内で膨大な量の仕事をすることには限界があり、依頼した仕事を全てこなすことは不可能なことだった十分にあります。当たりまえのことですよね。

                    しかし、指示を出した張本人は、これぐらいの仕事量だったら自分だったら余裕で処理できる。部下の能力が低いことが問題なのだと考える可能性もあります。
                     
                    僕は頭のよい方の人間ではありません。

                    その上、社交不安障害という精神疾患も抱えながら生活をしています。福祉のお世話にならない程度の知能の機能はもっていることは確かなので、仕事や生活する上で、自分の能力をいいわけに使うわけにはいきません。
                     
                    以前勤めていた会社では、無理難題を当たり前のように要求してきました。早くやれ、早くやれと、言われることが頻繁にありました。

                    早くやれ、だけならともかく、正確に行っていく必要があるので無理なことのはずですが、要求が止まることはありませんでした。
                     
                    僕の中ではその様な無理難題も社会人として当たり前にこなしていく必要だと思っていました。しかし、周りの人をみると不思議と誰かの協力の下、目的を達成しているケースが多いと感じていました。

                    これはいいわけになってしまいますが、実際に思っていたことは確かだったようです。

                    後になって同期に話を聞いてみても、誰かの助けは頻繁にあったと言っていました。しかも、仕事を依頼してくる量が僕の時と比較して、少ないこともわかりました。悲しいことです。
                     
                    まー悲しさを嘆くのが今回の課題ではないので本題にもどります。
                     
                    実はこの経験をしてから、自分が指示を出す際に、自分ならこれぐらいの量ができるから、自分より若い人材は、自分のできる7割程度の処理速度を要求するようにしています。
                     
                    しかし、若い人材は、7割程度の仕事をこなせなかった際に、「できませんでした」と言ってきます。自分の時は、できないのは自分の能力が至らなかったと思っていました。

                    しかし最近の若い人はできないのは、能力が問題なのではなく、できないものはできない、と表現してきます。
                     
                    少し前までは、なぜ出来ないのにこんなに普通に「できませんでした」と言えるのだろうと思っていました。

                    しかし、最近、能力云々ではなく、出来ない事もあるという当たり前の事実を理解できるようになりました。
                     
                    自分が過去に無理難題をやらされていて、それが当たり前のこと、できないのは自分が悪いという発想は、その発想自体が間違っていたのかもしれません。
                     
                    そもそも、できないことは出来ないし、それを認めて、相手に伝えることこそが、重要なことだと気づかされました。
                     
                    それと同時に、自分の人生はなんて無理をして頑張ってきたのだろうと悲しくなりました。人が笑いながら休んでいるときも、必死で仕事をしていたのに・・・。
                     
                    無理難題の仕事を要求される人は、自分がその仕事をこなせないのであればそのことを伝えましょう。要求をする人は、無理を言っていることを理解できていません。
                     
                    伝えないと、要求はエスカレートしていく一方です。

                    もしその事を伝え、会社を解雇になったら、その程度の会社だったということです。
                    社員のことなど考えてもいません。

                    最近僕が学んだことです。

                     

                    仕事or学校がある日は、家を出る何分前に起きる?

                    2016.06.05 Sunday

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                      仕事or学校がある日は、家を出る何分前に起きる?

                      おはようございます。ブロック兵です。
                       
                      ます、僕の働いている職場は、8時45分から仕事が開始となります。

                      今の会社に限らず、基本的に30分前には会社に着いて、仕事の準備をしたいと思っていました。

                      現在は、15分前に会社に到着して準備をしています。

                      今働いている職場7年ほど勤めているので、どうしても惰性がでてきてしまいます。

                      その為、以前と比べて早く職場について、という焦りはなくなってきました。


                      因みに、一つ前の職場では1時間半前には職場に到着して、勉強をしていました。

                      今考えると、何て真面目なんだ、と自分を褒めてあげたいぐらいです。
                       
                      では本題ですが、家から会社まで1時間ほど時間がかかります。正確には一時間未満で到着できます。その為、家を出るのは、だいたい7時半近くになります。

                      僕が男性ということもあって、朝の支度はかなり短時間でできます。

                      そもそも、朝起きて行う事は、トイレ、布団を片付け、ひげそりをそり、洗顔し、着替えをするだけです。

                      朝食を家では食べないので10分もあれば支度ができます。

                      (通勤途中でコンビニに寄って朝食を食べることはたまにありますが・・・。)
                       
                      起きる時間は7時ぐらいです。一応、目覚まし時計は6時半ぐらいに設定しているのですが、7時まで寝ていても支障ない、ということを自分の頭が理解しているので、体が動きません。


                      この点からして、自分が惰性的だと感じる部分です。
                       
                      僕が学生の頃に父親からよく言われていた言葉があります。「仕事をする前に、コーヒー一杯でも飲めるぐらい早く出勤しなさい」という言葉です。

                      確かに父親は仕事が始まる結構前に出勤していました。

                      不思議な事で、この言葉は今でも耳に残っていて、実践をしていることの一つです。
                       
                      いろんな著書には早起きが人生をよりよくする、という見出しフレーズがかかれているのを目にします。

                      実際に早起きすることは、健康にも、人生を謳歌する、ということでもよいことだと思います。しかし、一般的な独身男性が、睡眠という誘惑に勝てるか、と言われれば難しいですよね。
                       
                      20歳ぐらいの時に鳥取で仕事をしていましたが、毎日5時半に起きていました。帰宅は、夜の10過ぎ。その上職種は肉体労働です。毎日クタクタになって過ごしていました。

                      あの頃と比べると今の生活は天国のようなものです。

                      神様ありがとうございます。と普通に思ってしまいます。
                       
                      父親の言葉を思い出したので、今後は少しでも早めに職場に着けるように頑張ってみます。
                       
                      お父さんありがとう!!


                       

                      ブログのアクセス数が驚くことに

                      2016.06.02 Thursday

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                        こんにちはブロック兵です。
                         
                        最近ブログの更新が滞ることが頻繁にあります。仕事で疲れ切った自分の体に鞭を打ってブログを更新するだけの気合いがないのです。

                        最初の2ヶ月間毎日3記事ぐらいは余裕で書いていましたが、最近では一週間に3記事でも書ければ上出来、というぐらい記事を書く頻度が落ちています。
                         
                        ブログはモチベーションを保つのが大変です。自分の書いた記事を沢山の人に読んで貰えているという実感があれば、ブログを更新することは容易になるのかもしれません。

                        しかし、ほとんどのブロガーが感じているであろう、ほとんど誰も読んでくれていないという現実を突きつけられると、気合いが入りません。
                         
                        当然ですが、僕自身もその様な心境に陥りました。むしろ、今がそのまっただ中にいます。
                         
                        既に300記事近くは書いているので、ブログを更新しない日でも100PVは得る事できています。ありがたいことです。

                        しかしですよ、今日は驚きのPV数でした。
                         
                        なんと
                        600PVオーバーです。
                         
                        今まで最高のPV数は300PVオーバーでした。この300PVオーバーを出した時は、記事を一日に5記事書きました。5記事書いてやっと300PVオーバーです。
                         
                        それが、今日は全く記事を書いていないにもかかわらず600PVオーバー!!
                        なんかあったのか?と訝しんでしまいます。

                        アクセスデータを見たところ、全ての時間に一定量のアクセスがあるようです。
                         
                        なんでだ?正直、書いている記事自体に突出した内容はないし、総記事数もさほどないです。
                         
                        以前、ブログを始める前に、どんな記事でもいいので毎日更新をしていけば、アクセス数は必然的に集まるという記事を読みました。

                        僕はその記事を読んで、自分も日常や思って居ることを記事にしてブログを更新していこう。内容がもろくても長くやっていれば、アクセス数は期間に応じて増えていくものだと思っていました。
                         
                        しかし、ここ最近のアクセス数からすると、その記事の内容は幻想だったのだなと思っていたところでした。今回の600PVというアクセス数が永久に続くとは思っていませんが、自分がブログを書くためのモチベーションとしては、よい刺激となりました。
                         
                        ブログはどうしても、孤独な作業な上に、誰も評価してくれないケースが多いので、いつでも辞めてしまえます。辞めるのは簡単で、続けることは難しいという典型的な作業だと思います。
                         
                        このアクセス数に貢献してくれた方がどなたかは分かりませんが、とてもうれしく感じています。
                         
                        アクセス数向上にご協力していただいた方、
                        ありがとうございました。
                         
                        今後も、毎日更新することは難しいと思いますが、少しやる気が戻ってきました。
                         

                         
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